最近の取り組み

当たり前になっていること

取るに足らない、当たり前に感じている、何気なく過ぎている日常があります。

 

毎日朝起きて、挨拶をして朝食と昼食の準備。

まだ眠い目をこすりながら朝食を食べて、身支度を整えて出社。

仕事をこなし帰宅、遅く帰ったパートナーにおかえりと声をかけ夕食を準備。

何気ない会話と食事後ちょっとした時間からの就寝。

 

 

平日の1日を切り取っても、あまりに当たり前すぎて、このような平凡な日常が長く続くと錯覚し、感謝することも少ないように思います。

 

ですが、この日常はそんなに強固な基盤のうえに成り立った日常でしょうか。

当たり前(=いつも通り)/当たり前じゃない(=いつもと違う)

この差はごくわずかではないでしょうか。

 

事故にあってしまったり、体の調子が悪くなってしまい倒れるかもしれない。

急になにかのトラブルに見舞われるかもしれない。

 

朝には二人で元気に出社しても、夜は一人ということもあるかもしれない。

急に当たり前の日常が途絶えるかもしれない。

 

 

何気なくて注目することも、振り返ることも少ない日常ですが、この日常はなんと大切で、なんと尊い時間だろうと考えることが、自分のなかで最近増えてきているように思います。

 

残念ながら、人生の時間は人によって異なってしまいますが、そんな人生であるからこそ余計に、何気なく過ぎている日常の色々な物事に対し、当たり前と思う気持ちから、少しでも感謝できる気持ちにシフトしていきたいと思う今日このごろです。

 

 

感謝の量を増やすことができれば、日々のなんてことはない時間も、ちょっとした行為も、感謝する対象となり、心がより豊かに過ごせるのではないか。

 

仙人ではありませんので、常時そのように考えることはできませんし、時にはカッと頭に血がのぼることもありますし、やっぱり忘れることもあるでしょう。

ですが、そのような情動的に動いてしまう時間や、気持ちを少しでも減らし、感謝に向かえる気持ちが自分の中に育てられれば、それは人生の豊かさにも直結する、かけがえのない宝物ではないかとも考えます。

 

 

人によって捉え方、考え方は千差万別、誰が正解で誰が不正解というものではありませんが、このような当たり前をどう捉えるかを考えさせられた、2021年5月のある日でした。